看護師独立支援事例
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ふふぷらすのナーシングホームケアリーでは、まず正社員として直営のナーシングホームケアリーで、安定した収入があるなかで、オペレーション、人材マネジメントや経営ノウハウを学んでから独立するプロセスがあります。
独立時には融資交渉など資金面においても応援します。
一定期間経営者としてのノウハウを身に着けて、安全に自身のナーシングホームを経営する夢を叶えることができる道筋です。
自身のナーシングホームを持ちたいが、資金調達や経営ノウハウがわからない介護士さん、看護師さんたちの独立の夢を叶えるお手伝いをしています。
名古屋市で自身のナーシングホームケアリーの開業の夢を実現させる看護師ー早川様のインタビューを紹介します。
ナーシングホームで入居者さんの笑顔を咲かせたい!
3児のママナース、経営者になる
2024年3月、愛知県西尾市に開業予定の「ナーシングホーム ケアリーai 西尾」。
ナーシングホームとは、医療や介護が必要になった高齢者を対象とした住宅型有料老人ホームです。
このケアリーai 西尾を開業するのは、3児のママである看護師、早川理美さんです。看護師として母として多忙な日々を送りながらも、「自分の思い描くサービスを提供できる施設をつくりたい」と一念発起した早川さん。そんな早川さんに、看護師を志したきっかけからナーシングホーム開業までの道のりを伺いました。
10代から志していた看護師の道
―まず、早川さんが看護師になろうと思ったきっかけを教えて下さい。
看護師になろうと思ったのは10歳のときです。幼馴染の男の子の体調が悪かったことがきっかけで、医療に携わりたいと思いました。10歳の時、ハーフ成人式があったのですが、その時にみんなで「将来の夢を書く」という催しがあったのです。その際に「看護師になりたい」って書いた記憶があります。
―看護師になるにはいくつかの方法がありますが、早川さんはどのような選択肢を選びましたか?
私は私立中学に進学したのです。私立なのでエスカレーター式で高校まで進学できたのですが、「自分のやりたいことは看護だ!」と衛生看護科のある高校を外部受験しました。もう、10代のころから看護師への道をまっしぐらでしたね。
精神科病院から有料老人ホームで働く
―看護師になって初めて就職したのはどこですか?
就職したのは愛知県の精神科です。精神科では急性期の方から慢性期まで、精神疾患の患者さんの看護を幅広く経験しました。
精神科看護は専門性が高く、勉強になることが多かったのですが、看護師としては内科も経験した方がいいのではないかと思っていた矢先、別のところで、有料老人ホームに訪問看護ステーションが設置されると聞き、思い切ってそこに転職しました。
―有料老人ホームでの仕事はどうでしたか?
この老人ホームで初めてナーシングホームというのを知りました。ホームには人工呼吸器を装着しているほど重症の患者さんもいたのですが、居室の広さも十分ではなく、窓からの眺めもいいとは言えず、患者さんにケアを提供する場として、もう少し充実していたらいいのではないかと思っていました。
その呼吸器を付けている患者さんが、痰が詰まって苦しそうにしていたのですが、訪問看護の時間外なので吸引してはいけないと言われてしまったのです。訪問看護は契約に基づいて行われるもの。時間外なのでダメですと言われて、ショックでしたね。
―苦しんでいる患者さんを目の前にして何もできないのは、人としてもそうですが、看護師としても相当しんどいことですよね。
はい。苦しんでいる患者さんがいるのに、施設の設備的な部分や制度のせいで看護するのに限界があるなんて、自分としては許せない出来事でした。ナイチンゲールも「看護するには「環境が大事」だと言っています。
人工呼吸器をつけて、身体的に不自由している患者さんなのだから、窓から景色が見えるとか部屋が広々しているとか、快適な環境で過ごしてもらいたいと思いましたが、環境は一スタッフの力でそうそう変えられるものではありません。あのときほど無力感を感じたことはありませんでしたね。そんなときに、知り合いから「皮膚科の美容クリニックうに来ない?」と声をかけられたこともあり、転職しました。
―美容クリニックではどのような仕事をしたのですか?
皮膚科の先生が美容部門を立ち上げるため、私もお手伝することになったのですが、美容はこれまでの精神科や老年看護と違った分野なので、面白そうだなと思いました。高校の同級生やその先輩など、看護師の仲間3人で一緒に就職しました。
美容クリニックでは、オープニングから関わらせてもらったので、とても勉強になりました。この間、プライベートでも変化がありました。出産や夫の退職などライフイベントが続いたので、クリニックは退職し、派遣で看護師をすることになりました。
派遣看護師から、老人ホームの立ち上げに関わる
―派遣看護師として、どのような施設で働いたのですか?
派遣では、老人保健施設やデイサービス、デイケアなどいろんな施設を経験できたので、よかったと思います。いろいろな施設で働くことで、次第に自分の中で「こんな看護はいいな」「こういう部分はもっと改善できるといいのにな」という物差しができて、結果的にのちに自分が建てるナーシングホームに活かせたと思います。
―1ヵ所の施設にとどまらず、いろいろな施設で勤務したことがプラスになったのですね。
そうですね。派遣としていくつか施設を回りながら働くうちに、「有料老人ホームを立ち上げるので手伝ってもらえないか」と声がかかったのです。これまでの経験も生かせると思い、お引き受けして、ゼロから老人ホームの立ち上げをやりました。
施設を立ち上げるのは、できあがった施設を運営するのとはまた違う業務が必要です。看護師や介護福祉士の求人を出したり、スタッフの採用面接をしたりもしました。立場としては経営側ではなく看護師として立ち上げに関わったので、看護サイドとしての意見を施設づくりに反映できたと思いますね。
このころから、漠然と自分のホームを持ちたいと思うようになっていました。
ナーシングホームの独立を目指し、ケアリーに入職
―突然思い立って開業に踏み切ったのではなく、以前から心の中で温めてきたのですね。その後はどうしたのですか?
ナーシングホームケアリー岐阜下佐波に入職し、施設の立ち上げに関して多岐にわたる業務を担いました。
―ケアリーでナーシングホームの設立をすでに経験されたのですね。
はい。一つのホームを立ち上げるのも滅多にない経験なのにいくつもの施設に関わるなんて、今考えたらなかなかできない貴重な経験だと思います。私がナーシングホームを立ち上げた後は、それぞれの施設の管理者に運営を任せていくのですが、経営に必要な指導看護日誌の付け方や売上管理などもすべて私が教えました。経営のノウハウは理屈では語れない部分が多いのです。実際に立ち上げをやっていく中で身に付くものなので、仕事をくださった社長には感謝しています。
―ナーシングホームを立ち上げる中で、苦労したことはありませんか?
すべて自分でやったので、苦労と言えば全部苦労なんですが(笑)、施設の売り上げの加算請求やレセプト管理などは苦心しましたね。やはり収益を上げないと経営は成り立ちませんから。
他に心を砕いたのはスタッフの勤務シフトの作成ですね。業務の流れを見ながら看護師と介護士の組み合わせを考慮したり、現場スタッフの声を聞いたりして、なかなか骨の折れる作業でした。
―どの企業でも、経営側と現場スタッフの意見を両立させるのは難しいと思うのですが、早川さんはマネジメントしながらも現場スタッフの声をきちんと聞いていますね。
とてもいいチームだったので、立ち上げからうまく軌道に乗ったのはスタッフの皆さんのおかげです。看護師の多くは、だいたい新卒から一ヵ所の病院や施設で勤めてきた人が多いんですよね。だから、ベテラン看護師になるほどプロ意識が高い反面、自分の看護技術が確立されていたり、「こうじゃなきゃいけない」という固定観念もあるので、新しい施設に転職した際に臨機応変に順応できないことが多々あるのです。そういった場合こそマネジメントの腕の見せ所で、ベテラン看護師には曖昧な指示ではなく具体的にお願いして納得してもらうなど、自分なりに工夫してきましたね。
―ケアリーで働きながら、開業するための準備が十分にできたのですね。
そうですね。ケアリーに入ったのは自分のナーシングホームを持つためだったと言っても間違いありません。開業したいと思うようになったのは、最初に見た有料老人ホームが一番のきっかけだったかもしれませんが、派遣でさまざまな施設を見る中で、自然と「こんな施設があったらいいな」と思い描いてきたのです。
ナーシングホームケアリーを知った時、「これだ!」と思いましたね。ナーシングホームケアリー岐阜下佐波に入職したときから、「いつか自分も開業したい」と、ふふぷらすの藤村社長や上司であるナーシングホームケアリー岐阜下佐波の経営者にも日頃から伝えていました。
ケアリーの支援を受け、難関だった銀行融資を突破
―藤村社長さんやナーシングホームケアリー岐阜下佐波の経営者は、独立開業するのに反対はしなかったのですか?
「開業したい」ということは、ケアリーに入職したときから社長にも伝えていたので、反対はされませんでしたが、開業資金の調達が一番の難問でした。ナーシングホームを建てるには、少なくない資金が必要です。開業資金は一看護師の貯金で賄えるものではありません。
そうなると銀行から融資を受けないといけませんが、融資を得るのは難しいという話は噂で聞いていました。すると、私にはいくつものナーシングホームを立ち上げた実績があり、私の考案したモデルには採算性があると判断されて、融資してもらえることになりました。
―開業するに当たってみなさん資金面で苦労されているのに、スムーズに資金調達できたのはすごいことですね。
ナーシングホームの設立と言っても、世間的には「事業を興すこと」です。そもそも病院で働いていたら看護師が「事業を興すために銀行からお金を借りる」ことはしませんし、融資を受ける方法もわかりませんよね。周りにもそんな看護師はいません。
そんなときにケアリー下佐波の経営者に相談に乗ってもらったり、支援してもらったりしたことは有難かったですね。おかげですんなり融資が受けられることになって、有難かったですね。
自分のナーシングホームの開業に向かって
―銀行の融資も決まり、ナーシングホームを建てる際、まず何から始めたんですか?
ナーシングホームの立地探しです。どこに建てるか、自分の足で地域を見て回りました。いい立地が見つかるたびに藤村社長に「ここに建てられますか?」と尋ねて。ようやく西尾で一軒、建設可能な土地が見つかりました。
―銀行の融資を得て建設予定地も決まり、夢がどんどん形になってきましたね。
そうですね。まだ更地でしたが、建設予定地を見た時、「いよいよここに自分のナーシングホームが建つんだ」と、喜びと実感がわいてきましたね。一方で「もう後戻りはできないし、失敗もできない」と責任感が沸き上がるのも感じました。
立地が決まればスタッフ探しです。さっそく看護師の仲間に「一緒にやらない?」と誘いました。
―声をかけた看護師の反応はいかがでしたか?
開口一番「ほんとに建つの?」って言われてしまいました(笑)。でも、ちゃんと銀行の融資も得て、建設予定地も確保したと説明したら、「ついにやったね!待ってたよ」と喜んでくれました。その頃には、サラリーマンを辞めた夫が作業療法士の資格を取得し、病院で勤務していたので、同じ医療関係者として応援してくれました。
私のナーシングホームの理想
―いよいよ2024年春、早川さんのナーシングホームが建ちますが、どんな施設にしたいですか?
2023年8月に地鎮祭の予定で、建設自体はこれからですが、ケアリーに入居される利用者さんには、人生の最期まで充実して過ごしてもらいたいですね。ケアリーは季節ごとのイベントを大切にしています。ナーシングホームなどの施設では、ともすれば利用者の生活が単調になりがちなので、季節を感じ、生活にメリハリをつけるためにもイベントも大切です。
過去に屋外でそうめん流しのイベントを催したり、マグロの解体ショーも開催したんですよ。私のホームでも、イベントをたくさん開いて利用者さんに楽しんでいただきたいですね。だから、「楽しむときはとことん楽しむ」のをケアリーのモットーにしています。
―自分の施設を経営するとなると、スタッフの指導もしなくてはいけませんね。
そうですね。スタッフ指導はこれまでも関わってきたのですが、やはりスタッフそれぞれに個性があるので、一筋縄ではいきません。仕事に対するモチベーションも人それぞれですからね。スタッフごとに、長所もあれば短所もある。そこを見極めて指導していくのが大事だと思っています。
―早川さんがスタッフ指導で大切にしていることは何ですか?
チーム全体として同じ方向を向いていることです。たとえば、利用者さんの話を聞くのが得意なスタッフもいれば、じっくり話を聞くのは苦手だというスタッフもいます。業務をテキパキと効率よくこなせるスタッフもいれば、時間がかかるスタッフもいますよね。
私が大事だと考えるのは、スタッフみんなが同じペースで、同じモチベーションで仕事するのではなく、それぞれの得意と不得意を活かしてチームとして最高のケアを提供することです。
―まさにマネジメントですね。
そうですね。やはりスタッフの存在なくして施設は成り立たないので、マネジメントには常に気を配っています。でもこれは、以前お世話になったナーシングホームケアリー下佐波の経営者を見て学んだ部分が大きいです。
開業するには、資金調達から事務、経理、スタッフ指導……ありとあらゆることを担わないといけません。とても自己流でやれる業務ではありません。開業への近道は、経営者のロールモデルを見つけて学んでいくことだと思います。
―これからナーシングホームや訪問看護など、開業したい人へメッセージをお願いします。
今の日本では、病院や施設に雇われるのが看護師や介護福祉士の一般的な働き方ですが、組織に所属していると、看護よりも医療処置が優先され、自分の思い描くケアを提供できないことが多々ありますよね。もし理想の看護があるなら、思い切ってナーシングホームを開業してみるといいのではないでしょうか。
最近の国の流れとしても早期退院を推し進めていますし、患者さんたちの療養の場は病院ではなく地域に移行してきています。ナーシングホームのような施設は、これからどんどん社会に求められてくるはずです。挑戦する意義は大きいと思いますよ。